誰もが体の中にチップを埋め込む時代
ボディハッキング(身体改造)は、本来の感覚を強化するか、あるいはまったく新しい感覚を実現することで、人間のエクスペリエンスを高めることを可能にします。自分の手にRFIDチップと磁石を埋め込んだインタラクションデザイナーである私は、このトレンドの先にいったい何があるのだろうかと考えています。ついに、人類は生命という「媒体」をデザインするようになりつつあります。
オースティンで開催された、今年で2回目となる年に一度の「ボディハッキング・カンファレンス」で出会ったある男性は、LEDが点滅する、ボタン電池よりも大きなデバイスを手に埋め込んでいました。また、北を向くたびに皮下ピアスが雑音を立てるという人もいました。ボディハッキングという言葉には、ピアスからペースメーカーまであらゆるものが該当するため、われわれの多くがいろいろな意味でボディハッカーと解釈されます。
けれど現在、チップやセンサーを通じて、さまざまな入出力メカニズムを身体に埋め込むことで、人体が適応できる限界を広げることを意図する人々のサブカルチャー集団が形成されつつあります。ボディハッキング技術の熱心な早期採用者による「Grinders」という集団は、生物学とテクノロジーが融合するときに人間性に訪れる大きな変化に備えようとする確固たる目的を社会で果たそうとしています。
▲Grindhouse Wetwareの体内デバイス「North Star」
このような人体実験に、誰もが前向きなわけではありません。けれど、ボディハッキング・カンファレンスで見たトレンドの一端が主流になることは必然であり、それは「いつ」「どのようにして」実現するのかというだけの問題です。いまテクノロジーと生物学は、人間の自然な作用と調和を保ちながら、共生関係を維持しようとぎこちなく歩み始めたばかりです。
芸術が問題提起であり、デザインがその問題解決であるならば、ボディハッキングが主流になるという考えは、ちょうどその中間になります。ここでは、新たに浮上しているボディハッキングのユースケースや、それらが提示するデザイン上の課題について述べます。
感覚の強化
想像してみてください。指先の触覚受容器官の密度を生かし、そこに巧妙に配置された小さなネオジム磁石によって、鉄や電力の存在を感知できたら。あるいは磁力によって、宝石を手でつかみとるのではなく、引き寄せられるように手の中に収められたら……。それが私の世界なんです。
冷蔵庫を開けたり、ヘッドフォンを拾い上げたりなど、ちょっとした動作をするとき、指のムズムズした感覚に不意に驚いたりします。もちろん、私がプロトタイプを製作しているときやスマートフォンの充電中にさえも、コードの通電を感知するときなどは、体内埋め込み式のデバイスの実用性に疑問が生じることもあります。
テクノロジーによって、ツールをある種の代理の感覚器官として利用できるようになりましたが、その反面、頭の中で精神は次第に小さくなっています。空間と身体の融合は、自己の心理に影響します。感覚が拡張されることで、人は人間中心的な見方を抜け出し、新たな手段を通じて世界にアクセスできるようになり、こうして人々の自意識、わたしたちの「環世界」、あるいは固有の生命体のコミュニケーションと意義の両方の研究で中心となる生物学的基礎を拡張します。こうした拡張は人間をより共感的な存在にし、私たちをより共感的なデザイナーにするでしょう。
感覚代行
映画製作者のロブ・スペンスが部屋に入ってくるとき、その目の中の赤いLEDライトに気付かない人はまずいないでしょう。彼が自分を「アイボーグ」と呼ぶ理由がすぐにわかります。この種のテクノロジーの価格が安くなるのは単に時間の問題です。したがって、確固たるビジョンを持った人が、スペンスのように映像を記録したり、ズームインして細部を検証したり、あるいはターミネーターの視覚を完璧に手に入れるために、目に特殊な拡張技術を施すことが可能になります。
ポール・バッハ・ワイ・リタは、感覚代行の先駆者です。感覚代行とは、ある感覚が欠損したために、別の感覚を超越的な能力に変えようとする試みです。また彼は精神の可塑性を広く人々に気付かせた最初の人物でもあります。1969年にバッハ・ワイ・リタは、感覚代行が可能であることを証明しました。2015年、彼の妻が夫のかつての研究を発展させた「BrainPort」によって、FDAの認可を取得しました。現在、視覚障害者は、舌の上の触覚インターフェースを通じて、ものを見ることができます。4日間でわずか10時間のトレーニング・コースを終了すると、ユーザーはこのデバイスを使用して基本的な物体を認識できるようになり始めます。
この他にNeoSensoryという企業も感覚代行デバイスを提供しています。聴覚障害者のために設計されており、着用したベストを通じて音が触覚に変換されます。この「VEST」の着用者は、数週間で文章を理解するようになり、この新たな感覚を完全に自分のものにします。
精神にどれほど適応力があるのか、その「プラグ・アンド・プレイ」な性質を探求することで明らかになるにつれ、私たちはどの感覚を触覚、聴覚、または視覚に変換できるかを思案できるようになります。新しい感覚を統合できるようにする適切なトレーニング・プログラムがあれば、その可能性はひじょうに大きくなります。デザイン思考を適用することで、より直観的に学習を重ねることができ、こうしたデバイスへの参入のハードルを低くすることができます。
自己表現
オルランの「カーナル・アート宣言」は20年以上も前に書かれましたが、そこには今日、より多くの大衆に浸透しつつあるテクノロジーが示されています。オルランは次のように述べています。「カーナル・アート(肉的芸術)は、損傷と再成の間を揺れ動く。それが肉体に刻むものは、わたしたちの時代の機能だ。身体は『改造されるレディ・メイド(既製品)』になった。もはやかつてのように空想上の話とは見なされない……」
テクノロジーへのこうした審美的アプローチは、いま芸術家とファッション業界の両方から受け入れられようとしています。おそらく、オルランはレディー・ガガの「顔面補綴」に影響を与えたでしょう。トリチウム・ガスの減衰を利用して暗闇で体内器具を光らせる「蛍光タトゥー」や、スマートフォンの読み取り部に近づけると光るNFCネイルなど、いずれもファッションショーに出品され、インターネットに出回っています。
▲NFCネイル
主流になるまでのハードル
それでもこれらのデバイスが主流になるまでに越えなければならないハードルが少なからずあります。マーケティング面で、企業は潜在的な顧客層が、器具を埋め込むために皮膚を傷付けるという精神的抵抗を乗り越えられるよう支援する必要があります。
また追跡されたり、ハッキングされたりしないことをユーザーに安心させる必要もあります。前述のGrindersはこうしたデバイスをデザインし、独立系のボディハッカーが加工できるように提供していますが、後続のそれらには安全規約が適用されないため、その本質上、安全ではありません。
ただ、これらのデバイスのハッキングは容易ではありません。例えば、仮にハッカーがわたしの家に侵入するために、わたしのチップ上に刻まれたごく小さな文字列の情報を見たかったとしたら、かなり近づかなければならないでしょう。それならばドアをピッキングで解錠した方が楽です。
プライバシーに関してはと言うと、企業はこれらの体内デバイスから収集されるあらゆるデータを発掘したいに違いありません。最も考えられるのは、企業がユーザーに、自身のデータによって報酬を得られるオプションを提供することです。それでもこの分野を進歩させるためには、ユーザーが自分のデータを所有していると安心できる必要があります。テクノロジー自体が体内で稼働しているのですから、なおさらです。自分の生体の一部に企業のブランドが刻印されるかもしれないと思うとゾッとするでしょう。
1998年に初めて人にチップが埋め込まれて以来、普及の面では長い道のりを経てきました。現在、こうした行為を熱心に支持する全体的な動きがあります。10~20年後には、ほとんどのウェアラブル・デバイスは、おそらく体内に埋め込まれるようになるでしょう。ただし、これらのデバイスが一般化するには、相互接続されるようになる必要があります。
今日、Appleによって自分の心拍をテキスト化できるようになりましたが、数年後には、ほかのだれかの心拍を追加の感覚として獲得することで、例えば、子どもや愛する人が近くにいることを感知できるようになるかもしれません。個人のプライバシーは問題ですが、この種の親しい間柄でのデータ共有については、社会は不利益よりも利益を考慮しようとするでしょう。
プロトタイプ(原型)からフェノタイプ(表現型)へ
デザインの研究や人体の徹底的な理解が、これまでになく重要になります。ペルソナやアーキタイプは、固有の性格と身体の合成物である個人が、自身の新しい感覚やスキルをどのように取り入れ、利用するかについて洞察を与えてくれます。適切なユーザー・テストを行わなければ、社会への影響がどうなるかはだれにもわかりません。
こうしたエクスペリエンスのプロトタイプを作る方法を見つける必要がありますが、問題の多くは、人間の脳がどう機能するかという知識が不十分なことにあります。こうしたデバイスについてどのようなコーディングが脳に好ましいかを入念に計画する必要があり、それは身体測定によって人間工学的な組成を明らかにすることと同じようなものです。
身体への配置や身体がどう動くかは重要です。前述のVESTの場合、NeoSensoryは胸部と胴体を戦略的に選択しました。この部位には十分に活用されていない神経終末があるからです。わたしの場合はチップを移動しましたが、RFIDチップは通常、親指と人さし指の間の軟組織に配置します。
ユーザー・インターフェースは従来、解釈されるのではなく、理解されるように設計されていましたが、ボディハッキングがより主流になるとそうではなくなります。アプリや体内器具は、インテリジェント・システムや予測デザインを使用することで、各ユーザーのニーズに合わせて、自らを変容できるようになるでしょう。
しかし、ユーザーをだまして、何かを買わせたり、共有させたりなど、意図していなかったことをさせるような悪いパターンについては、教育し、回避することが不可欠になります。こうしたデリケートな状況では、意思決定を重視し、そしてユーザーエージェンシーに介入してもらう必要があります。
ではこうした新しい感覚が倫理的で持続可能かつ安全であるためには、どうデザインすればよいのでしょうか。将来のスキルに備えて、いまできることがいくつかあります。つまり、交差するいくつかの分野を統合し、デザインリサーチの論理的手法において厳格性を維持する事が必要です。デザインの脱物質化が、デザインに対する従来の観念を補完するにつれて、わたしたちは新しいデザインのパラダイムへ近づいていきます。
デザイナーは、ボディハッキングがもっと主流になることを楽しみに、社会学的影響や、生きた媒体としての神経科学を、デザイン工程の初期に重視し、考慮する必要があります。したがって、対象物をプロトタイプではなく、フェノタイプと見ることによって、構築するアートから使うアートへ、意識を転換できます。デザイナーはまさに、次第に生命の社会工学者になりつつあるのでしょう。